絶望から一夜明けて

取り止めもない昨日のどうしようもない状況から一夜明けた。気分は昨日とさほど大差ない。ただ今日は昼飯を秒で決めることができたので良かった。自分の今食べたいものがなんなのか、すぐにこれだと分かることがこんなにも嬉しい。

文章を書くということが本当に苦手だ。昨日も書いたと思うが。

結局あの後、強胃だと自負していたにもかかわらず安酒の9%なのですぐに酔っ払い、良い睡眠導入剤になったわけだが。

シラフである。

文章を書くということがこんなにも難しい。着地点を決めていないからだろう。ここでも客観性のなさが気になる。他の人は、まずテーマを決めて、そこから着地点を決めてブログというものを認めていくのだろうが、それができるようになるのはもう少し後だと思う。

それよりも切実に、それよりももっと、逼迫している。

居場所というものをついぞ確立することができなかった。今生きている生活圏内のどこにも見出すことができない。どこにいても落ち着かない。他人との摩擦に耐えられず、引きこもっているが、引きこもることだって別にしたくてしているわけじゃない。他にやりたいことがあれば迷わずそれをやるだろう。引きこもりたいわけでもなく、他にやりたいことがない。

わかるだろうか。お昼ご飯を決めることができただけで喜ぶ人間が、いったい人生のなにを決められるというのだろうか。例えば、この部屋は私が決めたもので溢れている。例えば、この部屋は私ではない誰かが決めたもので溢れている。

どうでも良い文章。

 

なにをしても前に進んでいる感覚がなく、つまりなにもしていないのだけど、前に進まないといけないというマインドセット、でも世界からは取り残されていく。

当たり前に他の人がしていることができない。

 

コミュニケーションの仕方がわからない。いや、本当はわかるはずなのに、そうじゃなくて、自分というものをどのように位置付けて、相手と話せば良いかわからない。要は、どう話すのかを選ぶことができない。それは、技術の問題でもあるし、単に相性の問題でもあるし、気分の問題でもある。不確定要素があまりにも多すぎる。

取り止めがなさすぎる。問題が抽象的すぎる。

答えなんてそもそもないのに。考えてもどうしようもないことについて考えてしまう。

もっと現実に、今実際に起きていることに目を向けなければ。

 

一つのミスに囚われ過ぎている。ひとつなのだろうか。今まで積み重ねてきた小さな問題が

 

また、話が抽象的すぎる。こんなこと考えても仕方ない。