妥協しない

誰とも話す事ができなくなって、ブログを始めて、一人でここに書き込んでいる。

私が期待する私になんか絶対に追いつくことはできない。

男だから、東京だから、だから

どうでもよくて

私は私になにを求めているんだ?なにを望んでいるんだ?

わけもわからず傷つくだけのあの愛しい時間が、そんなに苦しかったんだろうか。

苦しかった。

話しても、話せないことばっかり。わからないことばっかり。

期待して、何かを重ねて、見惚れて、望んで、失望して、

素直に自分の思ったことを言える人間と言えない人間がいて、

言えない人間は弱いのだろうか。努力不足なんだろうか。

わからない。強弱の話じゃないし、ただの憐憫でしかない。そうじゃなくて、

もっと根本的なことが知りたい。

言わない事が人を傷つけるだなんて

 

最強に生きている。身体は死んでいるけれど、精神は超生きている。毎日絶望を噛み潰して、呑まれまくっているけれど。でも生きるって事がこんなに辛いことなんて、今までの人生で初めてだ。それこそ、0歳児かのような、

生きる屍というのは、これよりもっと酷いもんなんだろう。なんの目的もなく、妥協して、日々をやり過ごす。それに比べたら今の私は妥協一つしていない。どこか気に入らなかった愛すべき日々を捨てて引きこもりに成り果てたが、それ故に、自分がいないまま生き続けるよりも、自分以外の全ての時間を止めて自分を、妥協しないが故に全てが死んだとしても

単純な利己主義である。こんなにも利己主義であったことがいままでにあるだろうか。自分のことしか考えていない正真正銘のクズだ。クズに成り果てた、というよりもうちに眠るクズが露呈しただけのことだ。死んだ方がマシである。

全ての迷惑を提げて、

708文字は恥だ。このすべてが恥でしかない。今までかけた迷惑と今まさに欠けている思いやりと、その全てで今の私が作られている。

情けない。たかが気づいただけでこんなにも陶酔的な文章が書けるなんて。特別なんかじゃない。

くだらないよ。よくこんな文章書けたもんだよ。これの繰り返しだ。永遠と。書いては否定し書いては否定し。自分というものの価値を見定めるんだ。今度こそ。これに失敗したら、もういよいよ首をくくるしかない。

失敗か成功かなんてどうでもいい。どうせ人生は

きっと、他人から見たらひどく青臭いもんだろう。書いている本人ですら青臭過ぎてヒリヒリしてくる。自分とか、他人とか、いちいち考えなくて済むのが大人になるってことなんでしょう?だから私は早く大人になりたい。早く大人にならないと、もう誰とも関わる事ができない。誰とも話す資格がなくなってしまう。

肥大化し過ぎた自尊心と自意識とを早くどうにか

どうにか